父登は、昨年9月にすい臓がんと診断されました。その時すでに病状は進行しており、末期で余命半年と告げられました。
その宣告をされた父は意外にも「病気がはっきり分かってすっきりした」と言ったのを覚えております。それまでの体調の悪さから、ある程度覚悟していたのかもしれませんが、日頃から人前では弱音を吐かず、常に前向きであった父らしい一言でした。また、その事実を知った家族のショックを和らげようという心遣いでもあったかと思います。
今月初めまで、そのほとんどを自宅で療養しておりましたが、時々襲ってくる痛みに耐えながらも、「何も思い残すことはない。今が一番幸せだ」と時々話しておりました。主治医の先生には「坂本さんはいつもニコニコしていて良いですね」と言われていました。そういう気の持ち方が、「奇跡的だ」と先生に言われる程、長く安定した病状でいられた要因ではないかと思います。
父は十年ほど前に肝炎を患い、それ以降アルコールは全く飲まなくなりましたが、それを補うかのように元々好きだったアイスクリームを沢山食べるようになりました。夏になると父専用の冷蔵庫にはジュース、スイカ、アイスなどが常備されていました。温厚な父でしたが、唯一不機嫌になるのが、冷凍庫のアイスがなくなった時でした。父の部屋のゴミ箱はジュースの空き缶、お菓子やアイスの袋でいつも一杯で、まるで子供部屋のようでした。
70才を過ぎてのそんな食生活はまさに「年寄りの冷や水」で、今思えばそれが体調を崩す原因になったのかもしれません。
週に一度の病院通いでしたが、6月4日に病状が悪化し入院する事になりました。16日夜、家族に見守られながら、ついに帰らぬ人となりました。
父は20代の頃に突然家業を継ぐ事になりましたが、その翌年には父親を事故で失い、さらに身に覚えのない多額の借金を背負わされるという苦難のスタートを強いられました。
試行錯誤の結果、その当時(40数年前)は恐らくまだ誰もやっていなかった「りんごの産地直送販売」を始め、現在の興果園の経営の基礎を築き、発展させてきました。
私が家業を継いでちょうど十年経ち、未熟ながらもやっと一通り仕事をこなせるようになりましたので、長年苦労してきた父にはこれから楽をしてもらおうと思っていたところでした。息子としまして非常に残念でなりません。
父が苦労を乗り越えてここまでやってきて、悔いもなく、幸せを感じながら旅立つ事ができたのも、ひとえに皆様方のご厚情のおかげだと感謝しております。父になり代わりまして心から御礼申し上げます。
今後は残った母を大切にし、父の遺志を受け継ぎ、家族心を合わせてさらなる努力をしてまいりますので、何卒よろしくお願い致します。
平成24年6月 興果園 坂本 昌人